ぼんやりと聞こえた祐樹の声に、ダイニングテーブルに突っ伏していた佐緒理は上半身を起こした。
時計を見ると、夜9時を回っていた。
料理作りに気合いを入れ過ぎて、疲れて眠ってしまっていたのだ。
リビングへ続くドアの音がして、目の前に祐樹が現れた。
「ごめん、遅くなって。仕事が抜けられなかったんだ」
申し訳なさそうに眉を八の字に下げて両手を合わせる様子に、
佐緒理は溜息をついた。
「しょうがないなあ……でもまだ明日になるまでに3時間あるし、許してあげる」
言うと、立っていって祐樹に手を差し伸べた。
「はい、上着、脱いで。シャツも洗っちゃうから……きゃっ!」
突然、祐樹の手が佐緒理を抱き締めた。
「佐緒理……プレゼントの口紅、つけてくれたんだね。綺麗だよ」
「ちょ、っ……今お皿に料理よそって……祐樹?」
祐樹が腕に力を込めるので、佐緒理の口元が祐樹のシャツの胸元についてしまった。
「あっ……」
佐緒理は急いで祐樹から離れた。
「シャツに口紅、ついちゃった」
「うん?」
祐樹は自分の胸元を見てから、佐緒理をじっと見つめた。
「大丈夫、佐緒理の口紅だから構わないよ」
祐樹はにっこりと微笑んだ。
「おいで、佐緒理」
「ご飯……いらないの?」
「そんなことないよ。もちろん食べるよ?」
祐樹は大きく手を広げた。
「でも、その前に佐緒理のことを抱き締めておきたいんだ」
一度身体を離した佐緒理は頬を紅潮させて、ゆっくりと祐樹の言われるままに身を寄せた。
「佐緒理……好きだよ」
「私、も……」
佐緒理は幸せそうに呟いた。
「私、も……?」
まどろむように閉じかけた佐緒理の瞼が大きく開いた。
佐緒理はじっと、動かなかった。
「……佐緒理?」
「……この色、違う」
「えっ?」
「この口紅の色、違う……あたしのじゃない」
「なっ、なんで?」
祐樹は明らかに狼狽えていた。
「佐緒理のだよ。今朝プレゼントしたやつと同じのだろ?」
祐樹は自分の胸元に滲む赤い色と佐緒理の唇を見た。
「ほら、佐緒理の唇、今ので少し滲んでる……」
祐樹の伸ばした手の指先は、佐緒理の長い髪に触れられずに空を掻いた。
「私の、は……ラメじゃない」
「……えっ?」
「ラメよ。キラキラしてるのがラメ。私のは、キラキラしてない。
なのに、このシャツについてる口紅は……キラキラしてる。どういうこと?」
佐緒理は顔を上げると、自分より背の高い祐樹の目をじっと見つめた。
「えっ、確かに同じメーカーの同じ色なのに……あっ!」
にじり寄る佐緒理の姿に祐樹は体勢を崩し、ダイニングテーブルに後ろ手に
手を着いた。
「……どういうこと?」
佐緒理は身に着けているエプロンのポケットから、リップスティックを
取り出して、その底の部分を祐樹の前に突きつけた。
「これ……読める?」
赤13ラメなし
佐緒理は赤く燃えているかような瞳で祐樹の顔を見つめていた。
(2019,07,15)
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